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映画『スーサイド・ショップ』 ネタバレ感想

希望を失った街の自殺用品専門店というテーマが非常に面白そうだったので見てみました。ミュージカルパートもあり、自殺という重たいテーマに対して映画全体の雰囲気が軽く、逆にそれが狂気じみていて少し怖かったですが、これにより同情や悲しみといった感情が中和されてフラットな視点から観られた気もします。

 

まず設定が非常に良かったです。自殺が大流行した街における、それに対する世間の冷たさ。さらには自殺自体がビジネスになってしまうということ。ifの世界のモデルとして秀逸であると感じました。

 

この映画では主に自殺用品店を営む一家に視点を置いていますが、死を売る彼らなりのポリシーや葛藤もよく描かれていると思います。彼らは実は狂人ではなく、むしろ彼らもまた世界に絶望した人たちであり、人を死なせる罪悪感を抱え消耗し、しかも客に死を提供するからには自殺できないというジレンマに閉じ込められています。(最後の部分はピエロのパリアッチの話に少し似ているなと思います。)

 

そんな中でのアランによる店への襲撃は一家にとって突然の救いとなりました。姉は自殺を考えていた男と恋に落ち、電撃婚約。まさに絶望の中から突然現れた幸福です。人生が幸せかどうかは最期までわからないというのがまず一つ、この映画の伝えたいことなんだと思います。アランが救った(もしくは彼のせいで自殺できなかった)人々がこの先幸せになるのかはわかりませんが、死んでいった人々は“最期まで”希望を見出せなかったというのはラストシーンで残酷なまでに強調されています。霊体に喋らせてまでというのはかなり露骨です。

 

ここまでだと月並みな物語ですが、この映画は違います。ラスト、ミシマがクレープ屋となった店に訪れた自殺志願者に毒入りのクレープを手渡すシーンには、私を含め多くの人が引っかかったのではないでしょうか。暖かい灯りに集う人々、一家の表情も明るくなりハッピーエンドというところでこのシーンが挟まるので、結局ミシマをどう見ればいいのか分からず困惑してしまいました。どうしてわざわざ水を差すようなシーンを入れたのか?実はこのシーンにこそ、この映画が伝えたいことのもう一つがあるのだと私は考えます。

人生が幸せかどうかは最期までわからないというのが一つ目のメッセージだと前述しました。確かに、その通り。しかし、追い詰められてどうしようもなくなってしまった人にただ「生きてればいいことある」というのはあまりにも無責任だと、そんな風にも思います。

クレープ屋に自殺用品を求めてやってきたあの男は、どうしても救えない人として描かれているのだと思います。陰気な街角に暖かい光が灯り、そこに集う人々が笑顔になり、自殺用品店がクレープ屋になってもなお致死毒を求めた彼に、「生きろ」と言えるかどうか。

ミシマ(とその一家)のポリシーは自殺用品店を営んでいた頃から「他人にとって良いことをする」と一貫しています。そんな彼だからこそ、あの男に毒クレープを渡したのだと思います。

逆に、彼らの客には本来死ぬべきでない人間が多すぎたとも言えます。普通自殺には逡巡がつきものですが、それが描かれている人物はほとんどいません(それこそミシマくらい)。自殺に対するハードルが極端に下がったのは、それがいわばブームとなってしまったこの世界特有の現象なのかもしれません。

ミシマは狂人ではないと先述しましたが、物語中盤ではノイローゼだったり怒り狂ったりと、かなりの異常さを漂わせていたので、それがラストで彼に対する不信感が募ってしまう原因かなと思います。

 

総括して、相反する2つのメッセージが込められた非常に考えさせられる映画だと感じました。

先ほど私自身も自殺をとめることを“救う”と形容しましたが、この“救う”という認識に潜むエゴにも斬り込んだ点が非常に良かったと思います。

スーサイド・ショップ (字幕版)

スーサイド・ショップ (字幕版)

  • 発売日: 2013/11/26
  • メディア: Prime Video