【今週のお題】二軍のTシャツばかりを着てしまう
今週のお題「二軍のTシャツ」
着る物に特段のこだわりが無い私でさえも、服を選ぶときは真剣ですから、好きになるTシャツはありますし、お気に入りを着た日は気分が上がります。
しかしTシャツの命は脆く、儚いです。着ているうちに襟は汚れ、洗おうと思えば首元が弛み、色味は淡く移ろいます。しかも、Tシャツとの出会いは一期一会です。来年にはもう、同じTシャツには巡り合えません(少なくともUNIQLOで安売りしているものはそうです)。つまりTシャツを着るということは即ち、別れの瞬間に向けて時計の針を進めることと同値です。
Tシャツが内包するこの刹那的な性質が故に、お気に入りのTシャツを着るということが私にとってあまりにも特別なことになってしまい、日常からかけ離れてしまいました。別れが惜しいあまりに、普段はお気に入り以外の、いわゆる二軍のTシャツばかりを着てしまいます。
二軍のTシャツに遠慮はいらないので、とても扱いがラクです。二軍ならランニングに着てしまってもいいですし、カレーうどんだって豪快に啜れます。道に血を流して倒れている人がいれば、破ってその傷を庇うことだってするでしょう。二軍のTシャツは日常とともにあり、私に行動力と勇気を与えてくれます。
そうなってくると、私はもはや何をもって一軍と呼ぶべきか分からなくなってきます。私は今まで、格好いいと思うTシャツを一軍としていましたが、その格好良さ自身がTシャツ本来の“ラクに着られる”という機能を失活させて、ローテーションの外に追いやってしまいます。確かに着ると気分が上がりますが、ローテーションから外れた服を一軍と呼ぶのには、少々違和感を覚えます。
『一軍』、『二軍』という言葉を改めるとしたら、それぞれ『恋人』、『親友』というとわかりやすいかもしれません。恋人と一緒にいると気分が上がりますが、恋人には何かと気を遣うものです。これは、私が今まで一軍と呼んでいた服と似ています。対して今まで二軍と呼んでいた服は、さながら日常を共にする、気の置けない親友のようです。