ゔぇにおの日記(仮)

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『ジョーカー』ネタバレ感想

『ジョーカー』の感想を書きます。すごくいい映画でした。話題性も高く、劇場は大混雑でしたが、それによって生まれるフラストレーションもこの映画に関してはいいスパイスなのかも知れません。

 

感想

常体で書くとそれっぽく見えるということを発見したので早速やってみます。


我々がみなそうであるように、暴力的な感情それ自体は元々のアーサーにもある。仕事の失敗を責められた直後ゴミ山に当たり散らしたり、クビを告げられたときに電話ボックスを叩き割るシーンなどがそれを表している。しかしそれを見たものはおらず、それどころか彼はいつも笑っているように見える。そんなアーサーは気味悪くも思えるが、“本音と建前”といったように2面性を持つこと自体は現代社会で我々に求められるそのものであるから他人事と突き放せない。

 

『ジョーカー』はそんな彼の暴力的な側面が助長され顕在化していく話だと感じた。バイオレンス自体は突然生まれたものではない。

母親の(あるいはアーサー自身の)過去を暴いてしまい、唯一の“守るべきもの”だった彼女がそうでなくなった瞬間が“悪のカリスマとしての”ジョーカー誕生のトリガーだ。後に直接彼の口から語られるが、もう失うものがなくなり、現代風に言えば無敵の人になったのである。

彼の笑いは泣いているようにも見えるときがある。特に母親の過去を知ったときのアーサーの鼻水からは涙以上の悲しみを感じる。体質にもよるが、涙なら大笑いでも出る。


それ以前に地下鉄で3人撃ち殺したときの3人目に対する有り余る残虐さをどう捉えればよいのかはまだ考え中だ。必死さがそうさせたのかなとは思う。


燃えるゴッサムシティでジョーカーが立ち上がる終盤のシーンは、端的にいうと、かっこいい。このかっこよさは我々に潜在的に宿る悪を自覚させるためか幾分強調されているように思えた。


終盤にブルースの両親がピエロに殺されるシーンがあるが、これは『バットマンビギンズ』の冒頭部分とは微妙に噛み合わない。あくまでバットマンではなくジョーカーの物語だということだろうか。


見終わって、アーサーがジョーカーという恐ろしい怪物になるまでの道のりに大きなターニングポイントこそあれ、突拍子のない飛躍を見つけられなかった。そこがこの映画が恐ろしいといわれる所以だと私は思う。

勿論アーサーの人生は壮絶ではあるが、当時のゴッサムの状況からいえばジョーカーの登場は必然だったのだろう。