ゔぇにおの日記(仮)

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月と六ペンス(金原瑞人 訳)感想

この本は最初に読んだときにかなり面白かった記憶があったものの、細かい部分が抜けてしまったので読み返してみました。改めて魅力を感じた箇所を紹介します。

 

簡単に内容を説明すると、「私」が出会った天才画家ストリックランドを追っかけまわした話です。「私」はこの物語の書き手となっています。

 

まず、「私」によるストリックランドの人物解説がちょろっとあるのですが、ここで「私」は彼に関する文献を用い、引用をきちんと示しながら論じているので、ストリックランドがあたかも実在した人物であるかのような錯覚に陥りました。当然文献も架空のものです。この作品の世界に吸い込まれたような感覚が心地良かったです。

 

“ここまでの話はすべて本筋には関係ない。”

というフレーズとともに、「私」とストリックランドの物語が始まります。ここまでバッサリ言い切ってもらうと心地よいです(本当に関係ないし)。さて、その本筋に関係ない部分にこんなフレーズがあります。

“誰の言葉だったかは忘れたが、人間は魂のために、一日に二つはしたくないことをしたほうがいいらしい。なるほどと思った私は、以来その教えを忠実に守ってきた。つまり朝がくれば起き、夜がくれば眠る。”

私はこのフレーズが大好きです。朝がくれば起きられる「私」が羨ましくもありますが...。この小説は超有名な傑作なので、いろいろな訳者さんのバージョンがあります。それぞれについて、このフレーズがどのように訳されているか確認したことがあるのですが、僕は金原瑞人さんのこの訳が一番好きでした。金原さんの訳はここに限らず、ユーモアと読んでいて心地よいリズムを感じられます。

 

この作品通して好きなのは、会話、特にストリックランドと「私」の掛け合いです。ストリックランドの言葉は簡潔でテンポが良いので読んでいて気持ちよかったです(語彙力の弱さは「私」により多少補われているようですが)。それは彼が情熱に取り憑かれた真っ直ぐな男であるが故です。もし才能がなかったとして、それでも絵のために全てを投げ出す価値はあるのかという「私」の問いに対し彼はこう答えています。

“「おれは、描かなくてはいけない、といってるんだ。描かずにはいられないんだ。川に落ちれば、泳ぎのうまい下手は関係ない。岸に上がるか溺れるか、ふたつにひとつだ」”

これは、一歩踏み出すのを躊躇うときに思い出すと背中を押してくれる大好きなセリフです。

 

それから、登場人物の描写が非常に的確でくっきりとしています。特に「私」による人物の心理分析は、ユーモアをたたえつつも数学の定理の証明のように鮮やかで、説得力があります。

 

ストリックランドのように生きたいなと感じつつも、やはり彼ほど義理人情と疎遠に生きるのは不可能だなと思いました。ストルーヴェに同情してしまったからです。

ストルーヴェは人情深く、どこか滑稽で、ストリックランドとは真逆に見える人間なのですが、彼には何と言っても“美”を見極める力があります。それ故に自らの平凡さを知っています。彼のプライドが著しく欠損しているのもそれが理由でしょう。本来ストリックランドとは相容れない人間なのですが、その才能が見えてしまう故に彼から逃れることができません。

ストリックランドに愛する妻を奪われた後、彼の描いた妻のヌードを見つけてしまい嫉妬と怒りに狂うも、その絵の“美”がわかってしまう故に絵を破ることができなかったシーンがとても切なかったです。人間として持つべき感情さえ、“美”の持つ力の前では許されなかったのです。

 

ストリックランドが最期に訪れた地タヒチで、この物語も終わりを迎えます。

彼はここでついに傑作を描きあげることができたのだろうと「私」は推測していますが、確かにそう感じました。そうでなければ、自分の欲望にまでストイックだった彼が最期にアタ(現地の娘にして彼の最後の妻)の前で涙を流すことはできなかったでしょう。彼に取り憑いた情熱からついに解放されたということを象徴しているように思いました。彼の抱えてきた苦悩や超人的な努力を思い出すと、彼を精一杯讃えたくなりました。なんかもうほんと、よく頑張ったなって...

 

改めて読んでみて、何と言っても面白く非常に読みやすかったと感じました。

また読んでいるうちにストリックランドの異常なまでの周囲への無関心が痛快に思えてきました。現実世界で彼のように生きるのは厳しいですが、もっと周りに縛られないで生きたいな〜という願いを僕の代わりに叶えてくれているような感覚がありました。

 

月と六ペンス (新潮文庫)

月と六ペンス (新潮文庫)